法事(納骨・回忌法要)のご案内

 

法事とは、元来、”真実を思い起こす機会”を意味します。

縁あった人が旅立って行ったときに思い起こすべき真実とは、


故人の死をどう受け止めればよいか、
今後どうつながっていくか、
受け取った数々のものを、今後にどう活かしていくか
といった問いについての答えです。

旅立った人が「亡くなって終わり」ということにならないように、
遺された者たちが今後に希望をもって生きて行けるように、

明瞭な答えが見える法事を執り行うように努めています。
 
 
いうまでもなく、宗派は関係ありません。

意味が見えなくなったしきたり・風習にとらわれず、

ご遺族の方々に確かな意味が伝わる弔い・お見送りの儀を差し上げています。
 
形だけの法事ではなく、たしかな意味を感じられる見送りの儀をお求めになる方は、ご相談ください。

➀お名前 ②連絡先(電話番号) ③ご希望の内容 ④ご希望の日時および場所



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※法事の様子を文章にしたためたものがございますので、ご参考までに紹介させていただきます。

とある納骨&四十九日法要の記

二〇一一年十一月末の日曜、日本で最初の法事の機会を賜りました。仏教に基づく葬儀の意味を考えるよい機会です。当日の模様をお伝えしようと思います。 


ことの始まり

「父の納骨の儀をお願いします」と連絡があった。相手は、出家前の旧い友人だった。――夏の終わりに父親を肺がんで亡くした。その四十九日の法要と納骨の儀を勤めて欲しいと言うのだ。

最初に確かめたのは、私が異国育ちの僧侶であり、日本のどの宗派にも属していないこと。読経はパーリ語であること。ただ日本の経は(最も通用している般若心 経や法華経も含め)内容的に葬儀には適していない部分がある。パーリ語は釈尊が存命当時に使っていた言葉に最も近く、今もアジア仏教諸国の共通語である。 それを経として用いて法事を勤めることになるが、それでよいかということだった。

ご親族に確認してもらったところ、皆それを望んでいるとの返事だった。日本で最初の法事を勤めることになった。

日曜朝に、友人と一緒に池袋発の特急に乗った。秩父に向かう。

途中の駅でご遺族が乗り込んできた。みな、異国で出家した僧侶がどういうものかイメージが湧かないらしい。いささか不安げな顔をしていた。

「ご安心下さい、日本人ですから」と言うと場が和んだ。ご遺族たちと秩父で降りてバスで霊園へ向かった。

墓の意味を知ること

墓地は山の中腹のなだらかな斜面に広がっていた。十分なスペースを互いに保っていて風通しがこの上なくよい。秋色づく秩父の山々が見渡せる、美しい公営の霊園である。

墓には石材業者がすでにいた。なんと納骨に備えて先に墓を開けてしまっている。骨壷が三つ覗いていた。

お骨は納めればよいというものではない。墓とは、ご先祖との命脈(命のつながり)の象徴である。墓を開く前に、ご先祖に礼拝の挨拶をすることが筋である。これから故人をお迎え入れ頂きます、ということを伝えなければならない。
石材業者に伝えて、墓を元通りに閉じてもらった。

納骨の意味を知ること
まずは、ご遺族に墓石を磨いて、周囲を掃除してもらう。焼香する。ここからが納骨の儀の始まりである。

今から四十九日の法要と納骨の儀を執り行う旨、ご遺族に伝える。四十九日とは、伝統仏教では、故人が次の命に生まれ変わるまでの狭間(中陰)の期間。四十九日をもって、故人は転生する――それが本来の意味である。

また、残されたご遺族にとっては、故人がもはや生者ではなくなること、但しこれからは心で思いを寄せ、新しい形でともに生きていく、その始まりの意味を持つ。そういう“送り結び”の儀式なのだとお伝えする。

慎みから入ること

今から経を読み差し上げる。最初に、礼拝文(らいはいもん)――これは仏教徒であればどの国どの宗派でも共通する、挨拶の経。そして懺悔文(ざんげもん)――身(しん)・口(く)・意(い)(行い・言葉・心)の三業による日ごろのあやまちを詫び改める。慎みをもって故人を見送る気持ちを固める意味をもつ。

御 一族は、○○宗の檀家だという。実は○○宗であれ、他の宗派であれ、法事は、この礼拝文と懺悔文で始まる。礼拝とは仏教に帰依する者たちへの挨拶であり、 懺悔文とは墓前でふだんの自分を戒め慎むという重要な意味を持つ。その意味を理解して勤めなければ、法事としての意味を持たない(意味を忘れた法事が今日 どれほど多かろう。罪なことではないか)。

これより故人をお迎え入れ下さいますよう――と墓に眠るご先祖たちに念を送る。

三つの念(思い)

最初の納経の後、本格的な納骨の儀に入る。ここで初めて石材業者の出番となる。経を読み上げる中で、墓を開けてもらう。そしてお骨を納める。墓石を閉じ、位 牌と遺影を置く。七日ごとに整えた白木の位牌の列を真ん中に、その前に遺影を、右側に正式な位牌(戒名の入ったもの)、そして左側に白木の位牌を据え置く。

墓の前に敷物を敷く。そこに座る前に、ご遺族にこれから何を念じるべきかをお伝えする。故人に手向ける思いは三つある。

ひとつは、ねぎらいの言葉。故人の生きて来た過去を振り返り、故人の面影を思い浮かべながら、お疲れさまでした、という思いを向ける。

もう一つは感謝。ご自身が故人から受け取ったもの・授かったもの。モノだけではなく、言葉や表情、気持ちなど、目に見えるもの・見えないものを、数限りなく授かった。そのことへの、ありがとうございました、の思い。

そして報恩。自身が授かったものをきちんとこれからの人生に活かします、故人を胸に留めてしっかり生きて参ります、という誓い。

その三つの思いを捧げる。合掌・瞑目して念じる。

今日が、故人を送る最後の日。“送り結び”の日。完結できるよう、ぜひ皆さま、最大限の思いを故人に捧げていただきますよう――。

墓前に跪いて、私は五体投地をする。仏像に礼拝するのではない。故人の来し方(ご遺族から予め聞いていた)を想い、最上の敬意とねぎらいの思いを込めて、故人に礼拝するのである。

ひとつの命をまっとうしたということは、それだけで最高に尊いのである。仏者が最上の敬意をこめて礼拝すべき相手なのである。この上なく尊きひとつの命が、墓に収まろうとしている。その瞬間に、仏者は念を込めなければいけない。

ひとつひとつ経を読み上げていく。節目ごとに、ご遺族に心で何をなすべきかお伝えする。ご遺族の心がさまよっては、法事という大切な儀式を完結できない。たしかな思いを念じ続けていただく。

送り結びの言葉

読経が終わる。花を供え、供物を置く。墓が華やかになる。

ここから、ご遺族一人ひとりに、送り結びをしてもらう。本日をもって、故人は代々続くご先祖のひとりとして、大きな法脈のなかでご遺族のみなさんと繋がって いくことになる。もう生きては会えない。しかし心の中ではなおともに生きてゆく。四十九日の法要は、その新しい関わりの始まりでもある。どうか皆さま、故人(戒名四文字を読み上げる)に、最後の御挨拶を――。

施主であるご婦人、その長男、さらにご遺族のひとりひとりが、墓前に座り、合掌し、黙祷していく。それぞれの思いを念じる。それを見守りながら仏者は経を読 み上げる。最後はお孫さんの7歳の女の子。「何言っていいかわからない」という。「おじいちゃん、ありがとう。一生懸命生きていくからね」でいいんだよ。

故人の名を呼びかけ、なにとぞ、ご遺族の皆様をお見守り下さい――改めて礼拝し最後の経を納める。ご遺族の心を代表して、故人に最後の言葉を捧げる。

これをもって、四十九日の法事と納骨の儀を修了させていただきます――。

本来、ここで法話が必要である。たとえば、これから故人にどのような形でご遺族とともに生きていってもらうか。苦を滅し、楽(故人の功徳・善き所・温かい思 い出など)を、どう受け継ぎ、生かしていくか。そのような話を、ご遺族の表情や、故人の話を元に、その場で構成して差し上げるのが本来のやり方である。

ただ今回は、肝心な部分はすべて十二分に伝わっていると感じた。ご遺族の晴れやかな顔は、もうこれ以上の言葉はいらないと伝えていた。だから、簡単な手向けの言葉で済ませた。

かくして、日本で最初の法事が終わった。

「またお願いします」

ご遺族とともに、近くの旅館で昼食を取った。行きしなは不安げだったご遺族が、みな安堵の表情を浮かべていた。

私の一心は、ご遺族みなが納得のいく、本当に意味ある法事を創って差し上げることだった。それこそが“導師”(道を引く者)の役割である。ただ、インドやビ ルマでの法事とはちがう。日本では最初の法事である。果たしてご遺族の期待に応えることができるだろうか。それだけが気がかりだった。

法事が終わった後のご遺族の表情で、その答えははっきり分かった。仏者としての役目を無事果たし終えたことを知った。

昼食時の、ご遺族のほどけた笑顔が印象的だった。老父が「こんな法事ならまたやってもらいたい」と言うのは、妙な言い方だが「拙僧も同感」だった。それくらい、善き法事だったのだ。それは導師を勤めた私自身にもはっきり分かった。

故人は遥かなる法脈の中へ

納骨の儀を終えたとき、私は不思議な感慨を抱いた。この命には、二千五百年余もの縦軸を貫き、インドから日本への横軸に連なる独自の仏法がある。その仏法を腹にすえて、全身全霊で経を読み上げる。すると確かに空気が変わるのである。

故人が、この儀をもって、二千五百年余の仏法のはるかなる法縁・法脈の中にきっちりと抱かれた――そう確かに感じた。

こういう働きこそが、仏者の仕事であるのか。これが、仏教だからこそできる葬儀・死者の見送り方なのか。

私は今日この日まで、日本の仏教の外にいたのだ。しかし今日この日をもって、日本の仏教の内側に立ったのだと知った。

なんと尊いことだろう――ひとつの命をまっとうされた故人も、その故人とつながり、思いを寄せて集うこのご遺族も、二千五百年の悠久なる時を越えて息づく仏 法という思想も、彼岸と此岸を端渡す仏者の役割も――これらが精妙に結び合わさった結晶のような時間こそが、仏教に基づく葬儀・法事なのである。

目に見えぬ仏法のこの広大無辺のつながりを意識できるか。
そのつながりの中に、故人と遺族とが位置づけられ、固く結ばれていることを実感できるか。

ひとつの命を弔う儀式が意義を持つか否かは、そういう深い部分で決まる。

仏教に基づく葬儀の魅力とは

納骨を終えたその場所で、秩父の色づく山並みを見遥かしながら、この世界の豊饒を、仏法という法脈の遠大さを見た。

信仰は数多くあれど、二千五百年もの歴史を湛えた思想は、仏教をおいて他にない。その仏教の法脈の中に、故人はこの日抱かれたのである。これもまた帰依の形ではないか。これこそが仏教に基づく葬儀の意味ではないか。

帰りの電車内で、友人がようやく口を開いた。
「もし他の坊さんに頼んでいたら、最初から開けてあった墓に骨壷をただ入れて、短いお経を読んでもらって終わっていただろう」

そもそも墓に眠るご先祖に礼拝するという発想すら、普通はないだろうと言う。たしかにそう思う。だがそれが本来のあるべき方法なのだ。

ご遺族は途中で降りて行った。施主であるご婦人と握手した。昼食の席でご婦人が語っていたのは、主人が亡くなったことがまだ実感できない、家に帰って来る気 がしてしまう、戒名を見るとああ本当に亡くなったのだと思うが、もし生前の俗名だったら気持ちの切り替えがつかないだろう、ということだった。なるほど、 戒名にはそういう意味があったか。

墓も、経も、戒名も、日本独自のものである。しかし、一番大切なのは、そこにどのような意味を込めるかなのだ。そして、意味を創造するのは、生者たちの、そして仏者の役目である。

今日私が知ったのは、墓地も戒名もその他の法事も、形は形としてあってよいということだった。どんな形であっても、尊い意味を込められる。日本仏教においても、遺族と仏者が心を合わせれば、すばらしい葬儀・法事を創り出すことができる。

仏教に基づく法事には、他の宗教儀式とはまたちがう魅力がある。“こういう法事ならば、おそらく日本人の多くが満足し、仏教を愛せるだろう”――そう自然に感じた。

日の終わりに

駅ホームから挨拶するご遺族たちのすがすがしい笑顔がありがたかった。合掌して別れた。

帰りの車内、秋色の山々と、赤やけの輪郭に生える富士山とを見つめていた。鄙やかな日本の風情と、日本ならではの出会いとを授かった善き一日だった。

仏法はつくづく深く広い。どこまでも魅力を湛えて、その時々の流れの中で異なる光を放って見せる。今日見送った故人は、仏法という遥かなるつながりに帰依したのである。私はその故人と今日はじめて出会い、縁をいただいたのである。

これからも、故人と生者とを取り結び、この素晴らしき法脈の中に位置づけるはたらきを、誠意をこめて勤めさせていただこう。

このはたらきや好し。

願わくは、すべての命が幸福を成ぜんことを。

深謝合掌。